2012年6月5日、日野江城主であったキリシタン大名、有馬晴信が断罪されて400年を迎える。
地元南島原市では、晴信没後400年記念の事業として6月2日、「キリシタン大名サミット」が開催された。
参加者300人の募集に対して、約450人の参加者があり会場いっぱいの盛況だった。遠くは関東地方からの参加者もあったとか。
有馬家第27代有馬匡澄氏は初めて有馬家のふるさとを訪問され、あいさつに立たれた。
サミットは「九州の4キリシタン大名が集結」と銘打ったものだ。
熊本・宇土城主「小西行長」、豊後の大友宗麟、そしてキリシタン大名第1号で有馬晴信の叔父にあたる大村純忠、そして有馬晴信の4人のキリシタン大名について、東京大学名誉教授五野井隆史氏、大分市教委・文化財課特別顧問の玉永光洋氏、大村市・市史編纂室長の稲富裕和氏、長崎市にある日本二十六聖人記念館の館長レンゾ・デ・ルカ氏、イタリア大使館学術・文化担当官のコッラード・モルテーニ氏の5人をパネラーとして、キリシタン大名が400年前の戦国の世で、どのようにして地方の小さな国を守り、治め発展させようとしたのかを中心にサミットは進んだ。
上智大学の理事長高祖敏明氏は記念講演で、「『キリシタンの世紀』における有馬の位置」と題して話し、時の権力者からけっして歓迎されず、消されていったキリシタン大名の存在について、勝者からの目で創られた歴史記述からは脱却をしなければならない、とまとめた。
有馬晴信はなぜキリシタンとなったのか、そこには竜造寺隆信の存在が・・・
参加者は、知られざるふるさとのキリシタン大名の生き様と悲壮な最期を知り、最後まで席を立とうとしなかった。
福井県坂井市にある有馬家の菩提寺のひとつ台雲寺に納めてある晴信の木像のレプリカ
今度は、大村市市制施行70周年特別企画で天正遣欧使節ミュージカル「光る海」が8月11日、12日に開催される。
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サミットが終わり、帰路についたときには、西の空にこんな陽が見えました。
地元南島原市では、晴信没後400年記念の事業として6月2日、「キリシタン大名サミット」が開催された。
参加者300人の募集に対して、約450人の参加者があり会場いっぱいの盛況だった。遠くは関東地方からの参加者もあったとか。
有馬家第27代有馬匡澄氏は初めて有馬家のふるさとを訪問され、あいさつに立たれた。
サミットは「九州の4キリシタン大名が集結」と銘打ったものだ。
熊本・宇土城主「小西行長」、豊後の大友宗麟、そしてキリシタン大名第1号で有馬晴信の叔父にあたる大村純忠、そして有馬晴信の4人のキリシタン大名について、東京大学名誉教授五野井隆史氏、大分市教委・文化財課特別顧問の玉永光洋氏、大村市・市史編纂室長の稲富裕和氏、長崎市にある日本二十六聖人記念館の館長レンゾ・デ・ルカ氏、イタリア大使館学術・文化担当官のコッラード・モルテーニ氏の5人をパネラーとして、キリシタン大名が400年前の戦国の世で、どのようにして地方の小さな国を守り、治め発展させようとしたのかを中心にサミットは進んだ。
上智大学の理事長高祖敏明氏は記念講演で、「『キリシタンの世紀』における有馬の位置」と題して話し、時の権力者からけっして歓迎されず、消されていったキリシタン大名の存在について、勝者からの目で創られた歴史記述からは脱却をしなければならない、とまとめた。
有馬晴信はなぜキリシタンとなったのか、そこには竜造寺隆信の存在が・・・
参加者は、知られざるふるさとのキリシタン大名の生き様と悲壮な最期を知り、最後まで席を立とうとしなかった。
福井県坂井市にある有馬家の菩提寺のひとつ台雲寺に納めてある晴信の木像のレプリカ
今度は、大村市市制施行70周年特別企画で天正遣欧使節ミュージカル「光る海」が8月11日、12日に開催される。
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